Takamasa's blog2

歴史は糾える縄のごとし・・・

いわゆる「フォークソング」は好きでない

年代的にフォークソング全盛期に学生だった。しかしフォークソングはどうにも好きになれなかった。第一に曲想が暗すぎる。「赤ちょうちん」など貧乏たらしい学生の生活や男尊女卑かと思えるような詩の内容のどこが好いんだ?と思っていた。それに脳天気。戦争反対と平和が一番という念仏が多かった。曲は素人レベルを超えたものがほとんど無かった。現に当時流行った曲のほとんどがすっかり消えている。例外は陽水と拓郎だ。この二人の才能は別格である。その後の活躍もすごいものだ。

日本の楽曲で好きだったのはユーミンと達郎だ。この二人の楽曲は今でも好きである。とにかく曲想が明るい。才能も溢れているが希望に満ちたような曲想が好きである。妙な思想もない。

フォークソング系で生き残っている音楽家には思想的に変なやつもいるが脳天気も多い。イルカの曲は「なごり雪」などは良い曲だと思うが、「まあるいいのち」という曲は脳天気の極みだと思う。

命は一つ大切にしよう、という歌だから別段誰も非難などしないし良い歌だねえ、で終わってしまうような歌だ。この歌が生命保険会社のコマーシャルで使われているのがミソだが、こういう偽善が何の感慨もなくまかり通るのが脳天気だと思うのだ。

命は大事と言っているのは人間だけの・・・と言う意味だと気づいているのだろうか。我々人間は他の動物や植物の命を奪うことでしか生きられないではないか。地球の生命体は食物連鎖で生命維持をし続けているが、人間だけが連鎖を切って奪うことしかしない。歌詞に出てくるカメやアリは食べる対象ではないから呵責を感じないのかも知れないが、豚や牛や羊や鶏は人間に食われるために生まれてきて飼育されている。彼らの命は必ず人間に奪われる。植物にだって命はある。肉食をしないから殺生はしていないとは詭弁に過ぎない。

何が言いたいかお分かりか?

日本人は生来肉食ではないため屠殺を無視したがる。肉は動物の姿を連想しないように肉片としてしか意識しないようにしている。魚でさえ尾頭付きや姿盛りを毛嫌いする日本人は多い。まして豚や牛を屠殺する光景など見たくはないはずだ。それでも屠殺しなければ肉は食えない。人間は動物の命を毎日奪って生きているのだ。

だから日本人は昔から命を奪った動物を供養してきた。生きものには全て魂があると信じてきたからだ。だからこそ動植物の命で人間は生かされていると教え伝えることが重要なのだ。奪った命のお陰で生かされている、だから供養をして感謝することが自分の命を大事にすることになり、自然を愛することになるのだ。ご飯を「いただきます。」と言って食べるのは「命を頂きます。」に通じているのだ。

それを、「命が大事、大切にしよう」だけで済むわけがない。「ペットのワンちゃんの命は大事だけど、トンカツになった豚の命は大事じゃなかったの?」こういう子供の質問にイルカはどう答えるのか聞いてみたい。