Takamasa's blog2

歴史は糾える縄のごとし・・・

戦争の原因

戦後の日本人はアメリカに占領されている間に厭戦主義に染められてきた。バカの一つ覚えのように戦争反対を言い続けてきた。日本が戦争をしないことで中国やアメリカは安心して不法を働いてきたのだ。それほど戦前の日本は強かった。しかも不法なことを一切しない見事な民族だった。人種差別主義者には腹立たしく、不法が生き甲斐の支那人にはクソ面白くもない邪魔な民族だったのだ。

日本は19世紀までは四方を海に囲まれた武装国家で、他国の侵略を受けたことがなかった。一方世界では白人種が世界征服をもくろみ、他人種を征服し、奴隷化していた。大袈裟な話ではない。この時代自主独立をしていた有色人種国家は日本だけだったのだ。タイ国はイギリスやフランスの都合で独立させてもらっていただけだ。

秀吉のバテレン追放令の背景にはオランダ人の奴隷売買があるのだ。当時の白人キリスト教徒は黒人、東洋人を奴隷にしていた。アヘン戦争以来支那人も拉致され奴隷にされていた。アメリカの南北戦争以降黒人の奴隷解放が行われ、代わって支那人が奴隷にされていたのである。清帝国は海外に出た自国民を保護することがなかったので拉致し放題だったのだ。

明治維新はこうした西洋白人種の世界征服から自国を守るための日本人の英知だった。挙国一致で国力を高め軍備の近代化を急いだのもそのためだった。朝鮮半島は最も危険な大陸からの侵略路だ。ここが侵略されれば本土防衛は至難であることは自明だった。

日清・日露の戦争は朝鮮半島の独立を懸けた一大決戦であった。日本は総力を挙げて当時の二大大国と戦いこれに勝った。特にロシア帝国に勝ったことは歴史的な転機となった。白人種に有色人種が堂々と戦って勝ったのだ。奴隷にされて虐げられていた有色人種にこれほど勇気を与えた歴史的事件はなかったのである。

しかし白人種にとってはこれほどの屈辱はなかった。人種差別国家アメリカは恐怖さえ覚えた。今まで自分たちがしてきた非道なことを考えれば、有色人種の反撃が怖くなって当然だ。アメリカは日露戦争直後、対日戦争計画を立案している。アメリカ国内では反日感情がわき上がり、排日運動が起こった。それを煽ったのがマスコミだった。

実に理不尽なことだが、不法を働くものは正義の味方を毛嫌いする。当時のアメリカ人は日本人を黄色い猿として毛嫌いしたのだ。白人に対して礼儀正しく不法を糾弾する日本人が憎くて仕方がなかった。これも大袈裟な話ではない。1924年アメリカは排日移民法を成立させ、日本人をアメリカ本土から閉め出した。すでに帰化していた日系アメリカ人の権利も剥奪するという非道なものだったのだ。

日本は自国を白人種の侵略から守るために武装し、ロシア帝国という侵略国を撃退したが、人種差別国家のアメリカという新たな侵略国を敵に回すことになった。

アメリカは1898年にハワイを侵略したうえ併合し、フィリピンを植民地にしている。このときのやり方は卑怯極まりないものであった。

ハワイには他の白人種と同じように宣教師がまず上陸し、キリスト教を布教し、土地を買い漁って次第に経済的な侵略を果たし、革命を起こして王朝を倒した。そして白人種だけの共和制の政府を作ってアメリカ本土に併合を要請するという合法的に見える方法で奪い取ったのだ。フルーツ王で有名なドール一族がその首謀者たちだ。

明治政府はハワイ王朝のカラカウア王から併合の要請や日系移民の要請を受けていたこともあり、政変の際には艦隊を送って革命政府を牽制した。若き日の東郷平八郎が戦艦浪速の艦長として乗り込んだのだ。日系移民の保護が名目だった。これもアメリカを怒らせ、恐れさせることになった。

フィリピンはもっとひどい方法で植民地にした。まずフィリピンを植民地にしていたスペインに戦争をふっかけて追い出した。その際、フィリピンの独立を約束して現地人に協力させた。ところが勝手にスペインと取引してフィリピンを金で買い取ったのだ。独立の約束など反故にして保護国として軍隊を送り込み、徹底的に現地人を弾圧して植民地にしてしまったのである。弾圧の張本人がアーサー・マッカーサー、後の日本占領軍の総司令官ダグラス・マッカーサーの父親だ。アーサー・マッカーサーは少なくとも20万人以上の現地フィリピン人を虐殺したと云われている。フィリピン駐屯の司令官たちのほとんどがアメリカ先住民の虐殺・絶滅に関わった連中なのである。その後アメリカはフィリピン人を徹底的に洗脳して英語を国語にしたうえ親米国民にした。

当時のアメリカ人は有色人種を劣等民族とみなし、自分たちが植民地にすることで文明をもたらす神の明白な天意(マニフェスト・デスティニー)なのだと称していたのである。何とも思い上がった鼻持ちならないことだ。彼らは戦争をふっかける際にも勝手な正当化をするのである。

スペインに戦争をふっかけた際には有名な話がある。

スペイン領キューバで独立運動が起き、アメリカは自国民保護の名目で戦艦メイン号をハバナ湾へ送り込んだ。ところがメイン号が突然爆破されてしまう。アメリカは爆破をスペインの犯行と決めつけ宣戦布告した。このときアメリカ世論は戦争には反対だったが一気に賛成へ変わった。合い言葉が「リメンバー・メイン」であった。メイン号の爆破はアメリカの自作自演と云われている。スペインとの戦争ではキューバプエルトリコ、グアム、フィリピンを奪い取っている。

実はアメリカはこの他にも領土拡張の際に同じような事件を起こしているのだ。

1836年メキシコ分割併合の際には「リメンバー・アラモ」として有名なアラモ砦の戦いがある。メキシコ領テキサスの独立運動を義勇軍が支援した際に、アラモ砦に立てこもってメキシコ軍に包囲された義勇軍を見殺しにした事件だ。近くにいたアメリカ正規軍は義勇軍の全滅の後メキシコに宣戦布告して一方的に勝利し、ニューメキシコカリフォルニアネバダ、アリゾナを併合している。

アメリカは国民世論を参戦に導くためにこうした事件を起こすのが常なのだ。

第1次世界大戦では日英同盟のよしみで嫌々ながら日本は参戦した。しかし活躍は目覚ましくドイツ領遼青島や南洋諸島を瞬く間に占領し、多くのドイツ兵を捕虜にした。捕虜になったドイツ兵は国際法に基づいて手厚く処遇され、このときにドイツ兵たちが楽団で演奏していた「第9」が、その後日本人にも親しまれるようになった話は有名だ。またロシア革命後のシベリア出兵では、パルチザンとのゲリラ戦に巻き込まれ、日本軍は苦戦することになり、シベリア撤兵は大幅に遅れた。このこともアメリカやヨーロッパ列強から領土的野心を疑われるなど反感を買うことになった。

ちなみに第1次大戦にアメリカが参戦したときにも事件が起きている。「リメンバー・ルシタニア」という合い言葉の事件だ。英国の豪華客船ルシタニア号に火器弾薬を搭載して、ドイツの警告を無視して挑発するような航路を通り、ドイツの潜水艦に撃沈させた事件だ。この事件で94人の子供を含む1095人が犠牲となり、アメリカは公然と参戦したのである。

アメリカは国際連盟の常任理事国となった日本が人種差別撤廃を連盟の憲章に盛り込むよう提唱すると猛烈に反対し、多数決を拒否して全会一致を主張し、結局廃案にしてしまう。さらに日英同盟を破棄するよう英国に働きかけ、日本を孤立化させる事に腐心するようになった。アメリカはシナ大陸を狙っていたのだ。シナ大陸で日本製品の排斥運動を仕掛けたのがアメリカの宣教師たちであった。蒋介石の国民党政府軍に武器弾薬を支援して空軍まで送っていたのもアメリカであった。

第1次大戦後アメリカが行った保護貿易政策が世界恐慌を招き、イギリスも広大な植民地を背景に閉鎖的経済圏の実施に至った。これが第2次大戦のきっかけとなった。なにしろ第1大戦で何もかも失ったドイツと保護貿易のために不景気のどん底に突き落とされた日本には新秩序が不可欠になったからだ。

ドイツはヨーロッパに新秩序を打ち立てるためにポーランド侵攻を開始した。一方日本は石油の輸入95%をアメリカに依存していたのだが、シナ大陸から完全撤退するよう要求するアメリカに石油を禁輸されて、やむを得ず宣戦布告することになったのである。ここでもアメリカは合い言葉を使う。「リメンバー・パールハーバー」だ。

日本が目指したのはインドシナの石油だった。当時はイギリス、オランダ、フランスが植民地にしていた地域である。フィリピンはダグラス・マッカーサーが統治していたが、日本軍が上陸するとマッカーサーはさっさと逃げ出した。インドではインド独立のためにインド兵と共にイギリスと戦った。オランダ、フランスはあっけなく降参している。日本軍は東南アジアインドシナの原住民にとっては解放軍だったのである。その証拠に大戦後はアジア諸国は皆独立を果たしている。しかもその後白人による植民地は全く増えていないのだ。日本が植民地時代を終わらせたのである。

ちなみに反日政治家の旧社会党村山富市土井たか子が、東南アジア諸国をお詫びと称する行脚で訪れた際に、各国でたしなめられた話は滑稽を通り越して情けない話であった。イデオロギーで曇った目は事実を見ようともしない。

戦争に善し悪しはない。原因があるだけだ。